考察

※デジタルとアナログを左右というキーワードとウェッブログとを絡めて連想的に気になったリンク先の内容を参考に考察してみました。


●左右脳の日記分類を考察された方が、文学的表現という部分で文章の表現を右脳に含めても良いのではないかと思いました。

  • ・左右脳に分けたはてな日記の分類について 1 / 2 ---floresさんのflores channelから
●個人的に発信するニュースや考察という情報に「カラオケの要素がある」という伝聞(伝見というのがウェッブらしいかな?)から人の日記内容にコメントを付けるのは、カラオケで一緒に歌いだすのと近い感覚があるかもしれません。
コメントより内容に絡めた情報と情報をリンクでつなげるのが、簾の紐を括る職人のようにブロッグで云われるジャーナリズムな編集者の役割なのでしょう。

●見た目が同じになるかというのは、体面以上に内容が似るかと云うと歌でたとえれば物まねで歌うかカバー曲として歌うかと云う鑑賞に近く、オリジナルに近付けるか、アレンジして違う味付けをするかの違いでしょう。そして、原点に戻ってオリジナルの味を味わいたいと思うかという心理が働きづらいのが、デジタルな利便性に乗っかった人間のエゴが疎外している。それは知りたいという欲求が達成された時点で概知し消化され、発端の原点回帰が薄れてしまうからでしょう。


●引用とコピーの間でソースの権利の有無と利害が揺れ動きつつ利用と所有の境界も見えなくなり、デジタルの有効性が今までのモラルを破壊する時代に変わった。その変化は既存の資本システムの欠点を検証しているのではないでしょうか。新たなムーブメントが始まるとき、そんな状況が色々な場所で見られ、今までの既成化された思考や様式の再構築がはじまりつつあると考えます。
自然の中には保守的な形式(スタイル)を打破するには左派的な無秩序(固定概念を取り払った流動体)により、新たな流れが生まれ進化している。だが、高度な思考を待つならば、秩序の中に変化を持つべきなのかもしれません。